三豊・観音寺市医師会


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■ムンクの『叫び』 −人類と感染症との闘い−

ムンクの『叫び』をどう聞くや。ノルウェーの画家 エドヴァルド・ムンクは友人とフィヨルドの近くをさまよううち、自然を貫くような、けたたましい、終わりのない叫びを聞いた。その大地の叫びに思わず耳を塞いだ光景があの一枚のパステル画である(1895年 四枚中の一枚)。得体のしれないものと未知への恐怖の様は死を象徴する絵とも言われている。我々は昔から数々の得体のしれぬものと未知なる恐怖を体験してきた。その最たるものが「天然痘」であろう。仏教の伝来(585年)と共に大流行し、日本古来の神々を疎かにした神罰という噂が飛びかった。その後の大流行で、聖武天皇は東大寺に大仏建立の詣勅を下し、神仏の加護を祈った。摂関政治の最盛期であった藤原道長は、親族のほとんどが天然痘で亡くなった時、家に籠りがちであった気性が幸いして「この世をば わが世とぞ思う 望月の・・・」男となった。スペインのピサロが200名たらずの騎兵でもって、インカ帝国を滅ぼした(1533年)のも天然痘(或いは麻疹)だそうである。白い神が馬に乗ってやって来ると言う予言を素直に信じたインカの人々に哀れを感じざるを得ない。

 1822年、コッホによる結核菌の発見まで、長い間人類は結核に悩まされた。終戦後、結核は未知の病気ではなかったが、治療法や世間の風評に手こずった。労咳(ろうがい)は、疲労が重なって咳が出るという意味である。子供の頃、胸のやまひの家は避けて通った。肺結核という言葉は「肺浸潤」というやや聞こえの良い言葉でだまされた。名を惜しむ多くの若者が亡くなった哀惜の念は止むことがない。「六号の 婦人室にて 今日一人 死にし人在り 南無阿弥陀仏(石川節子 啄木婦人)」

 14世紀から近世にかけて歴史を変えたと言ってもいい大パンデミックはペストである。陸海のシルクロード交易、モンゴル軍のヨーロッパ大遠征、ナポレオン軍の侵攻等種々の誘因は有ろうが、民衆は恐れおののき祈るばかりであった。パニックに陥った群衆は魔女狩りやユダヤ人の虐殺に走った。祈祷を信じる心はしだいに失せ、教会とローマ教皇の権威は失墜し、ついに宗教改革へとつながっていったのである。当時、腺ペストの死亡率は70%と言われ、ペストで2億人が亡くなったと推測されている。ヴェネッツィアでは東洋から入った船は港湾外に1カ月間停めおかれ、上陸および荷役が禁じられた。検疫の歴史(1377年)の始まりである。北里柴三郎のペスト菌発見(1894年)やネズミ撲滅作戦は世界にいまも高く評価されている。

 SARSも未知の恐怖として記憶に新しい。電話予約をして専用入口から入った。防御服を着用し対応したようである。

 インフルエンザは、スペイン風邪(1918〜1920年)として猛威を振るった。当三豊地区でもその勢いは強く、大正7〜9年の間に7〜8名の剖検(嗜眠性脳炎)がなされた。当時の世界人口約16億人のうち5億人が感染し、5,000万人の死者を出した。インフルエンザとは「地球外から流れ込んだ悪い空気」という意味で、1933年 Smith W. がそのウイルスを発見するまで未知の魔物であった。現在インフルエンザの分類はA,B,C型と発見順に続いているが、A型は表面上の突起がHA(16種)とNA(9種類)の2種で構成されており、理論上16×9=144の組み合わせが存在する。B,C型は一種類なので略す。またA型のRNA遺伝子の8個の分節が他と容易に入れ替わることができ、新しいウイルスの出現の可能性は充分にあるという。未知なるものはムンクの叫びより恐ろしい。96億円(美術品オークション史上最高落札額)をほとんど只で儲けたおぢさん(あるいは おばさん)よ!せめて世界の不景気を吹き飛ばすような使い方をしてください。これがワタシの『叫び』です。

   参考文献:加藤 重孝 人類と感染症との闘い (株)キタ・メディア
        観音寺市三豊郡医師会誌(一)
        西洋美術館(全一) 小学館